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映画「フタリノセカイ」は映画を製作、公開するにあたり、2つの試みを実践しています。
ここでそんな試みの一部をご紹介いたします。
エピテーゼを使用した表現
本作の主人公の一人である、小堀真也は、トランスジェンダーです。生まれた時の身体は、女性で、男性として生活することを望む真也ですが、彼は乳腺を摘出する手術を受けていないので、体に胸がある状態です。今回真也を演じる坂東龍汰さんは、男性の肉体を持って男性として生きる、シスジェンダーの俳優であることから、劇中のあるシーンを表現するために、体に胸を付ける必要がありました。そこで「フタリノセカイ」の制作チームが選んだのは、エピテーゼを使った表現でした。エピテーゼは、事故や、病気などで、体に欠損のある方が、欠損部分に装着する人工の補綴(ほてつ)物のことで、実際に坂東さんに装着していただいた胸は、乳癌で乳房を切除した方、トランスジェンダー(MTF)、女装家の方などが実際に使用されています。エピテーゼを使用した最大の理由は、とにかく“本物”と見間違うほどだったということと、エピテーゼを制作してくださった、田村さんの言葉に私自身が強く共感したためでした。初めて田村さんの工房にてエピテーゼを見せてもらった際、私はちょっとした衝撃を受けました。田村さんの工房へお邪魔すると、あまりにもカジュアルに、指や胸、男性器などの体の一部を模したエピテーゼが飾ってあり、田村さんのTwitterのアカウント名は「おっぱいおばさん」だと言うのです。人のコンプレックスに向き合うお仕事だと思うので、勝手に真面目で、重々しいものを想像していたのですが、その想像は見事に裏切られました。田村さんは「もっとファッション感覚でエピテーゼを使用して、肉体的なコンプレックスがある方にコンプレックスを乗り越えてほしい」と、おっしゃっていました。なるほど・・・そんな言葉を聞いて、気軽にエピテーゼの力を借りて、コンプレックスから解放されることが出来たら、きっと多くの方々が救われるのではないかと想像しましたし、トランスジェンダーである私自身も(私も体の欠損を持っていると感じているため)その存在に強く興味を持ちました。そして「もっとエピテーゼの存在を世の中に広めたい」。そう思うようになりました。こんな経緯があり、本作ではエピテーゼを使用した撮影を行っております。もっとエピテーゼの存在が世に知れ渡りますように。そして、もっとカジュアルに、エピテーゼを手に取れる未来があったらいいなと思います。協力
エピテみやび
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セクシュアルマイノリティ
支援団体への寄付
本作の上映するにあたって、映画の収益の2%を、一般社団法人にじーず、ハレルワと、2つのセクシュアルマイノリティとそうかもしれない人、その周辺の人たちを支援する団体へ寄付させていただく運びとなりました。セクシュアルマイノリティの当事者にとって、いざ困ったときに駆けこめる、場所や支援体制が身近にあるということは、とても重要なことです。一個人の想いとなりますが、私自身も特に10代、20代の前半には、精神疾患を伴うほど、自らのセクシュアリティに悩んだ時期がありました。こういった辛い時期を過ごすセクシュアルマイノリティの命綱はやはり、悩みを打ち明けたり、問題の解決に向けて、力を貸してくれる“隣人”の存在なのです。今回、特に子どもから若いセクシュアルマイノリティへの支援を続けている、二団体へ寄付を行うことにより、自分の意思では、助けを求めることが難しい若いセクシュアルマイノリティの当事者が、少しでも心を軽くし、なりたい自分になれるよう、支援を行わせていただこうと思います。団体概要
ハレルワは2015年より群馬県を中心に活動するLGBTQ等の支援団体です。コミュニティスペース運営や交流会の開催による当事者の居場所づくり、LINEを使った相談支援の他、学校・地域・企業等での講演・研修など啓発活動を実施しています。
にじーずは10代から23歳までのLGBT(かもしれない人を含む)が集まれるオープンデーを定期開催している一般社団法人です。2016年8月に任意団体として東京で発足し、現在は札幌、埼玉、京都、神戸、岡山を加えた全国6拠点で活動しています。
- 映画の中の表現について皆様にお伝えしたいこと
当映画には、トランスジェンダーの真也とその彼女のユイが、ある方法をとって子どもを授かろうとするシーンがあります。このシーンに関して、二人が子どもを授かるために選んだ方法は、あくまで二人が考えて選択した方法であり、他にも様々な方法があることを知っておいていただきたいです。
また、劇中にユイが「レズ」という言葉を使用するシーンがあります。「レズ」や「ホモ」と言った言葉は本来差別用語にあたり、使用すべき言葉ではありません。しかし、主人公のユイが「レズ」という言葉を使うのは、彼女の未熟さであり、LGBTQの当事者間であっても、自らのセクシュアリティとは違う当事者に対して、知識や理解を持っていないことすらある状況と、彼女の未熟さを表現しています。また、最終的にユイは、真也の親友である俊平を受け入れることによって、他のセクシュアリティへの理解をすることとなります。主人公が必ずしも“正しい”わけではなく、成長してゆく姿を見守っていただければ幸いに思います。
また、劇中にユイが「レズ」という言葉を使用するシーンがあります。「レズ」や「ホモ」と言った言葉は本来差別用語にあたり、使用すべき言葉ではありません。しかし、主人公のユイが「レズ」という言葉を使うのは、彼女の未熟さであり、LGBTQの当事者間であっても、自らのセクシュアリティとは違う当事者に対して、知識や理解を持っていないことすらある状況と、彼女の未熟さを表現しています。また、最終的にユイは、真也の親友である俊平を受け入れることによって、他のセクシュアリティへの理解をすることとなります。主人公が必ずしも“正しい”わけではなく、成長してゆく姿を見守っていただければ幸いに思います。